'09年購入。

これは正真正銘、ジャコ・パストリアス本人が使っていた Fender Jazz Bass である。

数奇な運命を経て、私の手もとに辿り着いたのである。

ケースの中には、ジャコが使っていた事と、その後のこのベースの辿って来た歴史を書いた ボブ・ボビングからノーマン・ハリスに宛てた手紙が入っている。 ケースの中には、ジャコが使っていた事と、
その後のこのベースの辿って来た歴史を書いた
ボブ・ボビングからノーマン・ハリスに宛てた手紙が入っている。
CD『Portrate of Jaco 』も付属していて、ブックレットに この Black Jazz Bass の
写真入りの説明が載っている。
このベースの関連記事が写真入りで載ったアメリカの雑誌
【Bass Player】も入っている。

各ピックアップの側に親指の爪で掘れた痕凄まじい練習量を物語っている

各ピックアップの側に親指の爪で掘れた痕
凄まじい練習量を物語っている

 

ジャコが一番初めに手にしたJazz Bassは
'67年製のブロックポジションマークのサンバーストのモデル(最近発売された『Woodchuck』で弾いている)だったが、音が気に入らなかった様だ。
そして親友のボブ・ボビングが所有していた、この'60年製のブラック・ジャズ・ベースの音が好きで、欲しがっていた。
ジャコは自分のアップライト・ベースと交換でこのブラックベースを手に入れた。
ジャコにとって初めてのスラブ・ボード/ドット・ポジションマークのJazz Bass である。

ジャコはこのブラックベースに対してすぐに改造をしている。
先ず弦をフラットワウンドからロトサウンドのラウンドワウンド弦に張り替え、弦高を低く設定した。
すると、すり減ったフレットの為にノイズが酷くなり、フレットを交換することにした。
その際にフレットを抜いたまま使ってみて、それが気に入ってしばらくそのままでギグに使っていたそうだ。
彼はこの時にフレットレスベースのコントロールの難しさと面白さを味わって、何かを開眼した様に見えたそうだ。
以後フレットレスとして使われる様になった。
その後、柔らかいローズウッド指板がラウンドワウンド弦ですり減るのを防ぐため、例の改造
(フレットの溝を埋め、指板に船舶防水用のエポキシを分厚く塗った)を託した。
そしてコントロール・ノブを元々の二連のスタック・ノブ(2ヴォリューム/2トーン)から、
ロスが少なくコントロールしやすい三連ノブ(2ヴォリューム/1トーン)に改造した。

ジャコはこの頃は、殆ど自分自身でメインテナンスや改造をしていたそうである。

その後ジャコは質屋で、'62年製サンバーストのJazz Bassを新たに手に入れた。
彼はサンバーストの色のベースが欲しかったのだ。
(質屋の店頭にそんな物があったのだから恐ろしい)
そこで気に入っていたこのブラックベースのフレットレスのネックと、サンバーストのベースのネックを交換した。
そしてコントロール系の内部も交換した。

こうしてあの有名な『Bass of Doom(シリアルナンバー 64437)』、
ジャコの代名詞の様なフレットレス・ベースが誕生した。

さて、'60年製のボディーと'62年製のネック(フレット付き)&アッセンブリーを持ったブラックベースは、 当時ジャコが参加していたバンドTommy Strand & The Upper Hand のギグで使われた。

その後このブラックベースは、妻トレーシーの出産費用を捻出するために、'71年にギターリストでベーシストの John Paulus に$425で売られた。

ジャコは一回だけ、Weather Report のセッションに使うため、このブラックベースをJohnから借りている。
「フレット付きのベースも必要だ」と思ったのだろうか。
それともこのベースの音が欲しかったのだろうか。
しかし実際にレコーディングに使ったかどうかはわかっていない。

年月が経ち、このブラックベースはジャコの親友ボブ・ボビングの下に戻る事になる。
そのボブがノーマン・ハリスに売却。(ケースにはボブがこのベースの経緯を書いた、ノーマンへの手紙も入っている)

ノーマン・ハリスによる【元Jaco所有のベースである】という証明書  ボブ・ボビングがノーマン・ハリスに宛てた手紙 写真入りの説明が載っているCD『Portrate of Jaco 』とブックレット  そしてアメリカの雑誌【Bass Player】

ノーマン・ハリスによる【元Jaco所有のベースである】という証明書
ボブ・ボビングがノーマン・ハリスに宛てた手紙
写真入りの説明が載っているCD『Portrate of Jaco 』とブックレット
そしてアメリカの雑誌【Bass Player】

それを日本人のジャコフリークのサラリーマン、K氏が購入した。

2006年中頃
K氏から直接、中村梅雀のホームページに
「ジャコのブラックベースを買って欲しい。
梅雀さんに弾いてもらって、このベースの素晴しさを多くの人に知ってもらいたい。」
との詳しい写真入りのメールが届く。
ビックリした。
ジャコの持っていたベース!!
日本ではバカボン鈴木さんが一本持っていらっしゃるのは知っていたが
雑誌にも載ったジャコのあのブラック・ジャズ・ベースが日本にあるんだ!!!
その所有者から直接メールが来るなんて…
しかし当然ながらお値段は高い。
あまりに高くて、当時劇団員だった私には到底買えなかった。
夢の様な話だった。
私は丁重にお断りした。

 

2007年3月頃
K氏から
「分割払いで良いから、とにかく梅雀さんに買ってもらって弾いてもらいたい。
とにかく実物を見て欲しい。ジャコの音はジャコのベースでなければ出ないという事がわかります。」
とメールが届く。
涙が出る程有難かったが、まだ劇団員だった私には、やはり金が無いのでどうにも無理だった。
その旨メールでお伝えした。

 

2008年12月
K氏から
「いよいよ手放します。こんなご時世ですから値段を下げます。如何でしょう。」
とのメール。
まったく驚きのディスカウントのお値段だった。
それでも
それでも買えないと思った。
本当に本当にお気持ちは有難かったが
前年の段階でJacoベースを諦めていた私は、
レコーディングのために別のベースを買ってしまっていて金が無かった。
痛恨の思いだ。
「自分のコレクションを全部売ってでもジャコのベースを欲しいとは思わないのか」
と自分に問いただしたが
その勇気は無かった…
またもや買わない意思を伝えた。
悔しくて堪らなかった。

 

2009年1月8日夜
K氏から
「イケベ楽器ハートマンギターズに委託しました。買わなくても良いですから是非試奏してみて下さい。
ジャコを身近に感じる事が出来ると思います。」
とのメール。
イケベ楽器のホームページを見ると確かに掲載されていた。

あーーーーーーっ
とうとう売りに出されてしまったーーーーーっ
悔やんでも悔やんでも
悩んでも悩んでも
諦めようとしても
どうにも頭はジャコベースの事で一杯。

もう全然眠れない。

せめて触るだけでも
ちょっと弾くだけでも
と思い
駄目もとでハートマンギターズに試奏希望のメールを出した。

翌1月9日朝
ハートマンギターズから
「既に某有名ミュージシャンが2名、試奏希望を伝えて来ており、1名様は今日来店されます。」
という返信。
この日は 渋谷NHKのスタジオで9:00~20:00の予定 で
NHK朝ドラ『つばさ』の本番。
もちろんベタで出番がある。
しかし幸いハートマンギターズも渋谷にある。
そして空き時間は夕食休憩とその後の短い2シーンだけ。
一時間半ちょっと。
ここに賭けるしか無い。

頭グルグルで「早く終われー」と本番をこなし
休憩に入ったのが 17:50
もうさすがに売れたろう、と思いながら電話をしてみると
「まだあります。某有名ミュージシャンはリハが終わらずまだみえていません。
その代わり私の友人がもうじき来ます。」
と店長。
「今から行きます!!!」
メイクも落とさず、行きたかったトイレも我慢してタクシーに飛び乗る。
ザザ振りの雨の中、信号一つ一つのもどかしいこと。

店に着くと、まだ無事に残っていた!!!
すぐさま試奏。
マークベースの小さなアンプでちょっと不満だったが
そんなのは関係なかった。

凄い

自分の指からジャコの音が出ている

久々に震える様な感動
金が無い事も、自分のコレクションを売りたくない事も
すべてぶっ飛んでしまった

「ジャコの音を出したい為に買ったベースなんか、もういらない」

そこへ店長の友人が飛び込んで来た。
なんと斉藤TAK氏(凄腕ベーシストで私と同じ【地下室の会】のメンバー)だった。
彼も「買いましょうよ!! 買うしか無いでしょう!!!」と煽る。
言われるまでもなく私の心は決まっていた。

「買います。」

そこへ電話が
「今リハが終わったんだけど、まだある?」
「今、売れている所ですーー」
と店長
それは某有名人気バンドのベーシストだった。

大雨が降る中、NHKに戻った私の顔を見て女房の寿子が
「昨夜とは全く別人みたいに喜びに満ち溢れてるよ」
と大笑いしていた。

というわけで
ジャコのブラックベースは私のものになったのである。

ちなみにシリアルナンバーは、普通に室内光で撮った写真ではパッと見には【026100】に見えて
一般的にも026100で知られているが
実際は【028100】なのだ。
イケベ楽器ハートマンギターで撮られたこの写真もよーく見ると、6ではなく8だとわかる。
ノーマン・ハリスの証明書にも【028100】となっている。
しかし正確にはこのシリアルナンバーは'56年辺りの製造番号で、
おそらくPrecision Bass か何かのプレートを転用した物なのだろう。

長い間数々の現場で働いて来たこのベースには、幾つかの変更点が見られる。
ブラックの塗装は一度リフィニッシュされており
コントロール部の金属プレートとノブも新しい物と交換されている。

しかし、各オーナーが大切に守って来たため、ジャコの音は健在である。

普通の室内光ではパッと見には#026100に見える (写真提供:イケベ楽器)

普通の室内光ではパッと見には#026100に見える
(写真提供:イケベ楽器)

照明を丁寧に当てると周りの傷が飛んで、ハッキリと#028100だと分かる
照明を丁寧に当てると周りの傷が飛んで、ハッキリと#028100だと分かる

 

まったくもってジャコの音が出るという事は
元々この楽器が持っている音が、ジャコの求めている音なのだと思う。
ジャコはそういう音のするベースを使っていたのだ。
『Bass Of Doom』と呼ばれるあの一番有名なフレットレスベースは、ジャコ自身の手によってバラバラに叩き割られ、
15個あまりの破片になったが、リペアマンのケヴィン・カウフマンの手で元の姿に戻ったベースは
見事に『Bass Of Doom』の音だったそうである。(カウフマンの腕も凄いと思うが)
ジャコが放置した為に行方不明だった『Bass Of Doom』は最近発見された。
それを Will Lee , Victor Bailey , Victor Wooten が弾いている様子を【Bass Player TV】で観る事が出来る。
Victor Bailey が弾いている時の音は、正にジャコの音である。
感動ものである。
ジャコの耳が成せる技なのだろう。

その"Bass Of Doom"を持っていた店に、Jacoの遺族が返却を求めたところ拒否された。
その後ヘヴィー・メタル・バンド【メタリカ】のベーシスト、ロバート・トゥルージロ
(トゥルヒーヨ)が買い取り、遺族に返すと申し出た。
遺族は深く感謝し、ロバートに使ってもらう様に頼んだ。
という訳で現在の所有者はロバートである。
Jacoを愛するベーシストならではの心意気。
ロバートに渡した遺族も素晴らしい。

"Bass Of Doom"とBlack Jazz Bassは、ネックとボディーとアッセンブリーを交換し合った2本。
つまり、ロバートと私は【Bass Brother】ということになる。
思いがけないご縁である。


なんと2009年、このブラック・ジャズ・ベースを使ってジャコがギグに参加していた、Tommy Strand & The Upper Handの音源がきれいに洗われてCDになって発売された。

cd※レーベル:Holiday Park/King International:規格品番:KKJ-4

Jaco フリークとして、Jaco物企画の推進者として有名な松下佳男氏が、長年の努力により実現させたのだ。
私がBlack Jazz Bass を入手したすぐ後に、信じられない様なタイミングでのリリースであった。
松下さんからマスタリング直後の音源を頂いて聴いた時は、心臓の鼓動がドキンドキンと高鳴り、居ても立っても居られなくなる程嬉しかった。
『Jacoがこのベースを弾いている!!』
どの曲にも若々しいJacoの、正に成長ホルモンが漲った様なプレイが聴ける。
特に"Higher"における4分のソロはジャコならではの、嬉しくなる様なタイム感とハーモニー感と自由さに溢れている。

 

 

 

 


この、ジャコのブラック・ジャズ・ベースが私のところへ来た過程を考えると
このベースを後世へ大切に伝えて行く使命を与えられたかの様にも思えた。
しかしジャコの精神を生かすには
いやもちろんそれはジャコ自身でなければ本当の意味では出来ないが
このベースへの礼儀として
音楽を愛し、自由に、奔放に、そして愛情たっぷりに弾いていく事こそが
一番大切なのではないだろうか

私は力つきるまで音楽を愛し、ジャコを愛し、このベースを愛し、
大切に弾いて行こう。
次の所有者となるべき人を選定するのも、私の責任だと思う。


                     中村梅雀

(写真撮影:光齋昇馬)



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