【Fender Jazz Bass '71 SB/R】

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アルダー・ボディー
サンバースト仕上げ
メイプル・ネック
ローズウッド・ラウンド貼り指板
バインディング
ブロック・ポジションマーク

ピックアップ・フェンスとフィンガー・レストを付けたままの状態。

ピックアップ・フェンスとフィンガー・レストを外した。
'71年の高校生当時はリア・フェンスだけは付けていたが、 '73年頃からリアも外したこの状態で使ってきた。

 

'71年購入。

私にとって記念すべき、初めてのFenderベース。
憧れのJazz Bass第一号である。
当時高校2年の私にとっては、輸入品のこのベースはとても買えるような楽器ではなかった。
誰もがまだ出来の悪い、如何にも偽物といった風情の(音も)日本製コピーモデルを買うしかなかった時代。
それまではGRECOのEB-3コピーモデル(中学2年で母に買ってもらった。当時としては見た目はかなり優秀にコピーされていた)で我慢していたが、どうしても本物の音が欲しかった。
グレッグ・レイクが“ビンビン“と弾いていた、あのJazz Bassが欲しかった。
私は父と母に何度も懇願し、今井正監督の映画『海軍特別年少兵』に出演したギャラの一部を使わせもらって、やっと買った。
手に入れた'71年から'80年頃までThe Beatlesに始まり,Led Zeppelin,Deep Purple,E.L&P,YES,
Return To Forever,Weather Report, Brecker Brothers,etc... のコピーバンド。そしてバンドのオリジナル曲にいたるまで、正に私の青春を共に過ごしたベースである。
私のベース奏法の基礎を作ったベースだとも言える。

ブリッジの位置がセンターから微妙にズレていたため、デッドポイントのハッキリしたベースだった。
70年代初頭、一時期Fender社の仕事が雑になっていた時期だ。
しかしそんな事は知らない私は、何とかして良い音を鳴らそうと努力し続けた。
そのお蔭で覚えた事は数知れない。

このベースを手に入れた頃は、私はまだピック弾きだった。
ポール・マッカートニー、グレッグ・レイク、クリス・スクワィアー等のコピーをしていたからだ。
グレッグ・レイクの様にリア・フェンスを着けて弾いていた頃もある。

高校3年生 文化祭のステージ

 

'73年、Return To Foreverのメンバーとして来日したスタンリー・クラークを観て、
「これは、指弾きにならなければいけない!!」
と決心し、2フィンガーやスラップの猛練習を始めた。
指に豆が出来、潰れ、血塗れになり、それでも弾き続けた。
いつしかスタンリー・クラークのコピーも何とか出来る様になった。

そして'77年。Weather Reportのメンバーとして来日したジャコ・パストリアスを観た。
衝撃だった。
言うまでもなく彼の虜になり、ジャコ追っかけの日々が始まった。
ジャコと同じ様に自分でフレットを抜き、穴を埋め、指板の表面をツルツルに磨き(エポキシは塗らなかった)、フレットレスにして使っていた。
このベースでひたすらジャコをコピーし捲っていた。
バンドでもそのままスラップもやり、どんな曲でもこれ一本でやり通していた。

'96年にTungの6弦フレットレスを手に入れたので、同年にこのベースを元のフレット有りの状態に戻している。
その時に、ズレていたブリッジも、正確な位置に修正した。
今や大変ふくよかで歯切れの良い、素晴らしい音が出る様になっている。

 

ミュート用のスポンジが貼付けられているリア・ピックアップ・フェンス。
'71年当時はこの状態でアメリカ本国から入荷された。
購入直後から私はE,L & Pのグレッグ・レイクと同じ様に、このスポンジを剥がした状態のリア・フェンスを着けて演奏していたのだ。
ネック・ジョイント用の板は'65年後期以降Fが刻印された【Fプレート】。
シリアルナンバーは#326335。

ネックのFender Jazz Bassのマークは、'68年から'76年中頃まで使われたCBSロゴ。

'69年からヘッド裏のストラップ・ボタンが廃止されている。

 

 

最近はケースに収まったままだが、たまに弾くとすぐに馴染む。
私の青春の血と汗と脂が染み込んで、様々な苦労を共にしてきたベースである。
私にとって特別の愛着がある。
弾かなくなったとしても、手放せない一本だ。

 

(写真撮影:光齋昇馬)

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